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ノージャンルの音楽ブログ、青春の80年代洋楽はじめ、J-POPからラテン系まで・・・好きな音楽紹介!

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闘病Life 2017 ~ 2018 【姉について⑧】

【2017年~2018年】

やりたい事をガンガンやった2016年から年を越えて2017年
2017年は今思えば穏やかに、そして確実に少しづつ病気は進行していったと言えるのかな。
病気の面で大きな出来事も無く、しいて言えば17年の10月に肺に水が溜まってきているのでその水を抜く為に10日間ほどの入院をしたことぐらいだったかもしれません。
病状としては大きな変化や悪化は無かったと思うけれども、体力的に徐々に厳しくなり始めた次期ですね。
以前はできていた一緒の買い物が、スーパーで杖やカートにつかまっての15分位が限界になってきた感じでした。
一緒にお店に入ってはみるものの、途中で立っていられなくなり車に戻るようになりました。
なので買い物は時短でサッと済ますか、姉は車中で待っているような事が増えていきました。

また2017年の1月に私とほぼ同時にスマホを替えました。
私がソフトバンクから格安スマホの楽天モバイルにしました。
私の月料金が5000円から2500円になった事を見て、姉もiPhoneで月6000円ぐらいかかっていたので変更を進めました。
そもそもネットもそんなに使わなかった上に家ではWi-Fiで繋いでるのでかなり無駄に払っていましたし、闘病中はほとんど家の中ですので格安プランで大丈夫でしょうということで2人とも楽天モバイルに移行しました。
そこでスマホを替えたタイミングでLINEアプリを入れてみたり、試しにと話題だったポケモンGOなどのアプリを使ってみました。

そもそも姉は実は音楽同様にゲームも大好きでした。もちろん私もファミコン世代ですのでそれなりにやります。
姉はナンクロなどのパズル系に始まり、PCですがまったりと国作りする「age of empires」とか地味にはまってました。
またPS系では特にコーエーの三国無双や戦国無双シリーズは以前から遊んでいました。
もちろん新作が出ると早々に購入しプレイする人で私より細かくトロフィーをコンプするなどやり込み派です。

2017年を一言で言えば「ポケモンGo」の年でした。
体力的に出歩けなくなってきて、家でソファーに座ってTVを見るか音楽を聴いているか本を読んでいるかPS4をする事がメインの生活になってきていました。
そんな中で1月にスマホに入れた「ポケモンGo」にまさかここまで嵌るとは想像もしていませんでした。
私達の年齢ですからポケモンは世代的に違いますし、お互いにアニメを見た事も無ければ特に興味もありませんでした。
ただ世間で話題になっていたので知ってはいましたが、まさか自分がプレイするとは思っていませんでした。
ただ試しとスマホに入れてみたら楽しかったらしく、私にもスマホに入れろと勧められ、外にポケモンを捕まえに出るという事が増えていきました。
ただ歩き回ることは不可能ですので、基本は私が運転し助手席で捕まえる、又はイオンなど大型の駐車場を訪れては私は買い物に行き姉はそれを待つ間にポケモン・ゲット。
深夜に捕まえた事の無いポケモンの影が出ていると気が付き、2人で出かけて行ったことも多々ありました。
とにかく無課金でこれだけ遊べるのは凄いなと私も感心しました。

そうこうしているうちにポケモンGoで月に一度の「コミュニティーデイ」というイベントが始まりました。
ご存知の方には説明要らないと思いますが、ある特定のポケモンが3時間だけ大量に登場し、また稀にその色違いが出現し捕まえることが出来るチャンスがあるというイベントです。
そうこうしている内に、合言葉は「来月のコミュニティーデイも元気で一緒に出かけよう!」になって行きました。
「ポケモンGo」が毎月の通院で検査結果も良好で問題無く無事に帰宅するためのモチベーションになっていきました。
体力的にも大きな計画や目標を立てられなくなってきた中で、2人で共有できる新たなコンテンツとして大事なものとなりました。
ポケモンを捕まえるために家から外出しドライブし、歩く程度としてはギリギリ大丈夫なパン屋さんでパンを選んだり、コンビニでコーヒーを買う事が貴重な運動になりました。
ただ2018年も後半になると、家のソファに普通に座っていることが辛くなっていき、常に横になっていないと駄目なようになります。
出かけた車内でもシートに座っている事ができる時間が徐々に短くなっていきました。
2017年のコミュニティーデイの頃の3時間がきつくなり、2018年夏にはそれが1時間になり、30分にとなり・・・2019年は通院以外では外に出る事すら難しくなりました。
2人にとってポケモンGoは2017年から2018年の期間がメインでしたが、1ヶ月を乗り切るモチベーションと毎日のワクワクと共有できる話題を提供していただきました。
姉とのこの2年間はポケモンGo無しには語れない期間となりました。
この場を借りて感謝とお礼を、ありがとうございました。

2018年は大きく様々な事が厳しくなった年でした。
私も一緒にいてかなり辛い思いをしましたが、当の姉はもっときつかったと思います。
弱音は吐かない人でしたので気丈に振舞ってはいましたが、この頃からですね。
まず病院の治療は変わらずで、耐性が付いた薬を次の物に変えてのホルモン治療の継続でした。
一番の変化は2018年は春ごろから一気に痩せていきました。目に見えて。
と同時に食事が食べられなくなっていきました。食べる分量ですね。
夏頃までは以前の半分、夏以降は30%ぐらいでしょうか。
胃が小さくなったのかどうかは分かりませんが、とにかく食べられない。すぐにお腹が張って苦しくなったり痛みが出るようになりました。
肝臓に転移した癌も大きく成っていたようで、そのせいで胃が圧迫されていたのかもしれませんし、そもそも筋肉がどんどん消失していっていましたのでお腹が膨れるという柔軟性が無かったのかもしれません。
食事の準備をしていた身としては何とか食べて欲しくて色々と好きな物を作るようにしてみたり工夫してみましたが本人曰く「食べたいけど無理!」でした。

なのでこの頃から以前の食事の基本パターンを維持するのが不可能になってきていました。
にんじんジュースも以前は食事外で飲んでいましたが、ジュースを飲んだら1食分食べられなくなるということで毎日継続が無理になり、入浴後に飲むという事で1日置きで作ることになりました。
また夏以降になると、もう何でも良いので食べられるものを食べて欲しいという思いになり、お米は食べずにパンでもOKになりました。もちろんコンビニ・スイーツでも喜んで口にするならと買っていました。
本当に夏以降は厳しくて、食べたいものなら何でも良いので食べて欲しい、ただそれだけになっていきました。
元々の体重は詳しく聞いていないけれども確か54㎏とかがベストだと言ってたような気がします。
この頃の姉の体重は聞いていませんが、2018年11月には相当にガリガリで厳しく見ていても辛くなるくらいでした、本人もお風呂に入って鏡で自分の姿を見るのが怖いと言っていました。
体重に関しては2019年に入った頃には40㎏を切ってショックを受けていましたし、6月の最後の入院時は36㎏でした。

この18年夏以降は発熱と痛みが出る事が増えてきて夜にも痛み止めを服用しないと眠れない事も多くなりました。
18年の10月にはホルモン治療ではなく、いわゆる抗癌剤をまた投与する事になりました。
その当時姉には言いませんでしたがその急激な状況の変化を見て、私は内心そろそろ限界が近いのではないかと思いはじめました。
少なくとも自力で歩けなくなるのも時間の問題かと感じ、姉に「友達の女子会とかLINE連絡はないん?」と聞きました。
お互いに気を使ってるみたいで2017年以降ほとんど連絡を取っていない様子でしたので「また抗癌剤になったら髪抜けてしまうから、髪の毛あるうちに会った方が良いよ!」、「早急に連絡とって抗癌剤の前に女子会開いた方が良いからすぐ連絡しなさい!」と半ば強引にせかし連絡させました。
案の定相手の友人も連絡を待っていたみたいで火曜日に連絡し即日決定で金曜日の女子会開催で決まりました。
そしてその後の週明け月曜日に抗癌剤というスケジュールになりました。
ただ火曜日に連絡をとって以降姉の症状は日々悪化していき、水曜木曜と痛みで唸っている事が多い状態で金曜日はとても無理かも・・・と危惧していましたが、神様が居ました!
金曜日は朝から痛みも出ず、昼前には無事に友人のお迎えの車に送り出せる状態でありました。
4時間ほどして帰ってきましたが、「楽しかった~!」と満面の笑みでした。
沢山話をしてパスタやらスイーツやらちょこちょこ食べれたようでした。
実際に友人と外で会えるこれがラストチャンスかもと思って送り出したのですが、本当に間に合って良かったです。

実はこの後の抗癌剤の投与で問題が起こりました。
当初予定していた通りに病院に行き、抗癌剤のフロアーまで行きベッドに横になり、吐き気止めなどの点滴を受けて、いざ抗癌剤の点滴という段階の最終確認で「アルコールは大丈夫ですよね?」って言われてビックリ。
姉はアルコールにアレルギーがあり、アルコール消毒も注意が必要ですし、そもそも3年前の最初の抗癌剤の時にもアルコール成分を含んだ抗癌剤は使えませんよと言ってあるはずでしたが、用意されていた物はアルコール成分を含んだ物で抗癌剤の投与は急遽中止になりました。
そして問題は次回の通院予定が本来の予定通りの3週間後となっていました。
結果的にそれまでのホルモン療法の薬も無く、抗癌剤も投与せずで、癌に対する処置が何もないままの状態で次の通院まで3週間を過ごす事となりました。
この3週間は日に日に痛みが酷くなり、本人も辛そうでした。昼夜問わず痛み止めも効かなくなるほどの痛みに耐え苦しみました。
テレビを見るとかゲームをするとかそんな余裕は全くなくて、ただ少しでも痛みの少ない体勢を探し、少しでも辛く苦しまないようにただただ耐えていた時間でした。
24時間側に付いていないと心配な状況で「このまま年を越せるのだろうか?」と不安に思う程状況は厳しかったです。
それでも何とか11月後半の抗癌剤まで耐えぬいてたどり着きました。
抗癌剤の投与後は痛みも軽減され何とか持ち直したように感じました。
ただ先生からは「自宅で過ごすのはもう限界だと思いますので入院してもらって良いですよ。」と言われました。
しかし姉ね返答は「家に帰ります。」との事で帰宅しました。
そもそも姉は最後ギリギリまで入院しないと言い切っていまして、「自力でトイレに行けなくなったら諦めて入院するけどね。」と宣言していました。

2018年のクリスマス、いつものお気に入りの店のケーキを買いましたが、姉はもう店内まで着いて行けなくて私一人で買いに行きました。
ケーキのチョイスはあれで正解だったのかは分かりませんが、大丈夫だったかな?
あと、ちゃんとしたとんかつ屋さんのオードブルがお買い得だと知って買ったのもこの年のクリスマスですね。
年末には我が家で初めて、いわゆる通販の「おせち料理」を注文しました。
2019年のお正月はそのおせちとちぃっと高めのお寿司で過ごしましたね。

次は2019年、その年ですね。
でも一番色々と想いががあるのもこの年、特に最後の入院後、最後の数日間の出来事です。
長くなりそうですが、ケジメの為にも1周忌までに書き終わらせますね。

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闘病Life 2015 ~ 2016 【姉について⑦】

姉の闘病に関して書いてきて、
ノロノロしすぎですね。もう7月半ばです。
7月28日で1周忌を迎える事になります。

最近思いますが1年は大きな区切りなんでしょうね。
自分の事ですが、事あるごとに「去年の今頃は・・・」と考えて思い出す機会が多いですから、
やはり1年経つというのは一区切りなんでしょうね。
今月の1周忌をどの様に行うか、コロナの影響もあり6月に相談して基本的に私と父親の2人だけで済ます事にしました。
出席するであろう父親の兄妹夫婦も皆70代以上ですので、遠方からの移動などリスクもあり考慮しました。
と、決めていましたが、地元の数名がコロナも収まっているのでやはり行きますと昨日連絡がありました。
自粛してて時間を持て余してるから仕方ないでしょうかね。
さて、1周忌を目標にこの連載を終わらせて通常のブログに移行したいと希望してますが、果たして?!

【2015~2016年】
姉が闘病を初めて2015年の年末あたり。
私と父親は無事に年を越せそうだという事に少し安心していたと思います。
ただ姉本人は来年は無いかもしれないという思いもあったでしょうか。
また手足が不自由になったので杖無しでは台所にも数分しか立てないですし、手指も痺れが出ていて力が入らず自由に使えなかったので「クリスマスもお正月も何も出来んでゴメンね」という事を言っていたと思います。
もちろん私たちは姉が居るだけで十分ですので苦にしてませんでした。
クリスマスケーキは姉のお気に入りのケーキ屋さんで一緒に行って購入しました。
(多分2019年まで毎年同じお店だったかも)
お正月も私が作った物とスーパーで買ったおせち類で過ごしたかな。
姉へのクリスマス・プレゼントですが、大好きなブランド「チチカカ/TITICACA」でシャツとか買ったかな。
あと大のリラックマ好きでしたのでベッドで添い寝できるぬいぐるみを買ったのもこの年ですね。



病状的には大きな変化はなく抗癌剤の副作用も心配された程でもないようでしたが、回数を重ねるごとにダメージは蓄積されていきましたので年明けの冬場は辛そうな姿も多くなりました。
特に多少の発熱と共に咳と痰が多くなり、夜寝る頃になると酷くなる事が増えました。
もちろん咳止めの薬はいただいていましたが、寝るためにベッドに入り横なると咳が出だすという感じでなかなかスムーズに寝られませんでした。
予防的に寝る少し前に咳止めを飲んでも良いのですが、通常時から毎食後1回7錠前後の各種のお薬を飲んでいましたので本人はこれ以上の薬の量をあまり飲みたくないらしく咳が出て我慢できなくなったら飲むという感じでした。
その頃は冬場で足がかなり冷えているので私の足マッサージが日課になりました。
ソファーで起きている時もやりましたが、夜ベッドに入ってからなかなか眠れない事が多かったのでその度に足マッサージをリクエストされました。
足の裏や足指から足首・ふくらはぎから膝関節・太ももまで通しでリンパと血流を良くするための指圧やマッサージを流で30分~でやります。
自己流ですが多少はネットなどで流れを調べたりしましたね。
今思うと、このマッサージの時間も自分の中では貴重な大事な時間でした。
多少の熱があったり咳痛みがあったりで寝苦しい時でも、寝る体制で布団に入ってもらい、私はベッドの足指側から手を突っ込んでのスタイル。
しかしこの足のマッサージを始めると本当に気持ちよさそうに寝付いてくれました。
起きてる時とウトウトしてる時と寝落ちした時と反応が違うので楽しかったです。
マッサージしている時は姉の様子を見なくてもその反応でよく分かりましたし心穏やかに眠ってくれるのは私としても嬉しかったです。
マッサージしながら姉の寝息が聴こえてきたときの幸せは忘れません。

2016年の1月~3月頃まではインフルなどに家族皆で気を付けて過ごし、姉自身は極力外出は控えて買い物なども最低限にしていたと思います。
特に微熱と咳ですが、咳の際に痰が絡んでしまい、嗚咽をすることが多くなりました。
抗癌剤の副作用の吐き気ではなくて、物理的に痰が喉に引っかかって吐きそうになる事が増えました。。
冬場でもたまには外出してお気に入りの喫茶店で珈琲とスイーツを食べたりしたいのですがこれが怖くて外出を躊躇してました。

それでも春頃になると抗癌剤の薬が変更になりました。
姉の治療の場合は手術や放射線は出来ない情況でしたので、1種類の抗癌剤投与→癌に耐性が付いてきたら別の薬→耐性付いたら次の薬。
というスパンの継続くり返しでした。
それで3月頃からホルモン療法に変わりました。
基本は投薬の治療で乳がんの増殖を促進する女性ホルモンの働きを抑制する治療法です。
姉の場合はこの後薬の種類を取り換えながら2018年12月までホルモン治療を続ける事になりました。
姉にとっては相性が良かったのかもしれませんが、こちらの副作用も大きくはなく、比較的に穏やかに過ごせていたのではないかと思います。
いわゆる抗癌剤の投与とは違いますので、頭髪も徐々に戻り始めました。
4月、桜の季節には薬の変更が良かったのか咳や痰の問題も無くなり杖を着いて帽子を被りですが2人で桜を見に行ったりお茶したり、多少の外食も可能になってきてました。
以前、このブログでも取り上げた事のある【新出製パン】に初めて行って感動して盛り上がったのもこの時期でしょうか。
基本家から出られないので車の助手席に乗って外の景色を見て、コンビニでコーヒーを買って、音楽聞きながら色んな話をして・・・。

この年は春以降姉の体調も良くなっていましたし、姉本人も行きたい所ややりたい事をどんどん行いました。
本人は体調が良くていつまで動けるか分からなかったので一気に予定を組み込んでいきました。
好きな喫茶店やパン屋さんに行く。
ドライブしてお気に入りの遠い美味しい蕎麦屋さん迄行く。
大事な友人と女子会をする。
能登方面への日帰りロングドライブ。
石川県と富山県にある「チチカカ/TITICACA」店舗へ行く。
コキアを見に行く (ひるがの高原 牧歌の里:岐阜県郡上市)
メタセコイヤ並木の紅葉を見に行く(マキノ高原:滋賀県)
メタセコイヤ並木の紅葉を見に行く (金沢市太陽が丘)
GUACOのライブに行く。

夏場はさすがに体力的な不安もありあまり無理はできなかったけれど
春以降の経過が順調でもあったので秋はもうこれでもかと外出してましたね。
今思えばどれも行けて良かった事ばかりです。姉の私の想いでになっているハズです。
実際に2017年以降は体力的な低下もあり、本人も遠出をすることが難しくなっていましたのでこの年が実質ラストチャンスであったと今思います。

週に2回は2人でJAに買い物に行くのもほぼローテーションでしたので出かけました。
基本は玄米と人参とリンゴを買いに行くのですが、その他様々な野菜を見て回るのも楽しい時間でした。
またJAって店先の大きいスペースで旬な野菜や果物がダーンとこれでもかと並びます。
特に姉は7月の初旬かなトマトの時期が大好きでした。真っ赤な様々な種類のトマトの山にくぎ付けになり品定めしていました。
私もそうですが子供の頃、夏場はおやつとして農家のおばあちゃんがリヤカー引いて売りに来ていたトマトを食べていたんですよね。
そのトマトの次はスイカ、ブドウ、梨、大根など季節の旬な物が並んで見てるだけでも楽しかったです。
食べた事の無い品種の野菜や果物を買って挑戦してみたりして、本当に楽しかったです。
先日も私1人でJAの直売所に行きましたが、トマトのシーズンで一面のトマトを見て姉の姿を思い出して涙がでてしまいました。

姉は元々音楽のフォルクローレだけではなくアンデス文明とかインカ帝国等も当初より大好きで勉強していました。
なのでその系のエスニックが入っている「チチカカ/TITICACA」の洋服が大好きでした。
ネットでも買っていましたし、店舗にも足を運びました。
石川と富山のイオンにテナントとして入っているのでドライブがてら寄るコースも何度か行きました。
また姉が店舗に行く体力が無くなってからは誕生日やクリスマスのプレゼントではここのアイテムを1つは選んで入れました。
また火葬の際にも一緒に入れて欲しいものとして洋服はここのお気に入りのTシャツとアウターを指定して一緒に持って行きました。

モコモコ好きだったんですよね。
アルパカとか。
でコキアも大好きで1回は見に行きたいと言っていたコキアもこの年に見に行けました。
飛騨高山市内のホテルで宿泊し、翌日に【ひるがの高原 牧歌の里】に行きました。
満面の最高の笑顔でした。
広大なスペースでしたが本当によく歩きました。頑張りましたね。
本人も「もう無理、限界!!」って言って歩いてたね。
写真も撮りましたが帽子をしっかり被ってるのでツバで影になり表情まできっちり撮れていないのが本当に悔やまれます。
ちなみに今、我が家の庭にはコキアが4株植えてあります。今年から植えてみました。
秋に真っ赤にモフモフになったら姉が見に来てくれるかなと期待してます。

メタセコイヤ並木も姉のお気に入りのスポットでした。
一度友人とドライブで行って以来、また行きたいと言っていましたので迷うことなく行きました。
確かに凄い景色で2.4Kmにわたるメタセコイヤ並木はめちゃ綺麗でした。
写真も撮りましたがこれまた帽子でイマイチなんですよね。
物産館おみやげ屋さんで色々と買って食べて!
おみやげには姉の大好きなでっかい椎茸を買いました。家に帰って笠の部分にバターを落して焼いて美味しかったね。
あと帰宅する際に姉が車内からメタセコイヤ並木をスマホの動画で流し撮りしていました。
動画はスマホ内に残ってましたが、姉貴は当然映ってないんですよね。声も無いので残念。
そもそも我が家は大昔からあまり写真を撮る習慣があまり無いのですよね。
母親が写真に取られるのが嫌いだったらしくて、子供の頃の家族旅行とか写真がほとんど無いんです。
ただ他の家族が一緒に行った旅行は他人が撮ってくれるのでそれなりに撮って残ってるのですが、だから私も写真撮る事に気が付かないタイプです。
なのでこの時も逆光だったり帽子で顔が隠れていたりで技術が無い、つまり気の利いたものが撮れてないし数も少ない。今になって後悔する事になってます。
姉自身もスマホで景色を取ることは良くしていましたが、私がスマホを向けると嫌な顔するのでやっぱりちゃんと撮れていなかったですね。
また時代はスマホで気軽に動画も撮れる時代なのに、この闘病中に姉のまともな動画も残していなかったことにも後悔している私です。
また金沢市内にも太陽が丘という所に滋賀県ほどの規模ではありませんがメタセコイヤ並木がありまして、ここは以前よりドライブがてら毎年のように通ってましたね。

そして11月のGUACO来日公演です。
チケット買った時点の6月では11月に本当に行けるのか分からなかったけど、これをモチベーションに頑張るんだってことで励みにしてたね。
自家用車なら途中で具合悪くなってもどうにでも出来るけど、名古屋まで電車に乗る不安もかなりあってビクビクしたけど無事に往復できたね。
ライブの途中も座ったり立ったりしながらだったけど最後まで歌って踊って!頑張ったね。
ライブ終わって、晩ご飯食べに名古屋駅の駅ビル内でお店を探すのに歩かせ過ぎたね。今でも謝りたいわ、ゴメンね。
どこもお店が満席だったりで入るお店が決まらなくて、歩かせてしまった。
結局ひつまぶしを食べられなくて、とんかつで済ませてしまって後悔です。
帰りの日は駅地下のコンパルでテイクアウトの「エビフライサンド」等を購入して電車内で食べたね。
この時もお店の場所が分からず、結構探して歩かせてしまったゴメンナサイ。
2人の音楽体験としては【松岡直也】に始まり【Paul young】【Hall & Oates】のライブを経て【ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ】【Timbalada】からの最後が【GUACO】となりました。
ラストの〆まで出来過ぎだね。本当に楽しかったよありがとう。

2016年は今思えば色々と想いで作りが出来た1年でしたね。
姉もそのつもりで頑張っていたんだ思います。
ホルモン治療に変わって体調の悪い事が少なくなったので、ちょっと安心できた時期だったかな。
でも同時に来年はあるのかどうか?お互いに言葉には出さないけど不安ではあっただろうね。
その分、色々な事盛りだくさんで気持ちがこもっていたからね。
食事の事だったり、にんじんジュースに関してもちゃんと基本ローテーションはキープできていたよね。
とりあえず一緒にJAやスーパーやイオンに行って最後まで杖で歩いて買い物する事が出来たね。
この当時は多分、杖を着いて30分歩けるかどうか?って感じだったかな。

次回はだんだん厳しくなる2017年~2018年ですね。

闘病生活のスタートと基本対策 【姉について⑥】

癌が確定して、通院しながらの抗癌剤治療も始まり
今後の事に関して姉と相談しました。
方針として決めた事は

・病院の主治医の治療方針には基本従う。
・セカンドオピニオンなどは行わない。
・巷に無数にある民間癌治療などはお金をかけない事を第一に色々と調べて取り入れる意味がありそう事はやってみても良いかもしれない。
・癌に関して何らかの効果がありそうな食材を意識的に取ってみる。
・逆に癌の活動を助長しそうな食べ物を減らす。
・癌の活動を抑制する意味でも基本の免疫力を高めるように努力する。

そんな決め事の中で治療に関しては基本病院に任せる形なので、家で出来る事を相談しました。
多数の書籍やネットなど調べてやってみても良いかなという物を少しだけ採用しました。
【ここから書く事はあくまで私達が自分たちで調べてやってみた取り入れた事であってあくまで個人的な話しですので皆さんの意見考えと相容れない部分もあるかもしれませんがご理解ください。】

家で出来る事で一番重要で現実的なものは「食事」でした。やはり毎日の事ですし、その積み重ねで体を作っていきますからここから見直しました。
まずは基本的な話ですが、本人は無類のパン好きでした。
1日2食は当然の事、日よっては3食コンビニ購入の山○パンとかで済ませている事もありました。
コンビニパンの有害の有無に関してはそれなりに言われていますので今更いう程ではありませんが、姉にとっては良くない習慣だったかもしれませんね。
またそもそも小麦粉(特に輸入小麦)そのものにも問題があるような事も調べる中ででてきましたのでパン食は極力控えるようにしました。
通院中はほぼ3週間間隔だったのですが、病院に行った帰りにコンビニじゃないちゃんとしたパン屋さんに行って好きなパンを買って帰るのがルーティーンになりました。
今月も元気に病院に行けたご褒美ですね。
基本1日3食からパンを極力除外して玄米食と野菜+肉魚+味噌汁を基本にしました。
日本的な普通の食事に白米からより栄養のある玄米にという変化です。

次に意識的に減らしたものは甘いものですね。
コンビニ・パンと並行してコンビニ・スイーツも大好きでした。
新商品も断続的に出ますし、各社競っていましたから追いかけるのも楽しかったでしょう。
1日1個ぐらいのペースかな?2日に1個かな?
いずれにしても糖分は癌細胞の栄養源になるので過剰な糖分の摂取は控えるようにしました。
(PET検査の仕組みを考えていただければ)
もちろん糖分は身体のエネルギー源でもあるのであくまで”過剰な”ってことですね。
スイーツ類は2週に1回ならOK!って感じで始めました。
それも和スイーツ優先で。

その他・・・
塩分は控えめに極力減らす&薄味。
バランスよく3食食べる。
発酵食品をちゃんと摂る(毎食の味噌汁、納豆など)
海藻類を意識的に多く摂る。
ブロッコリーを意識的に摂る。
ネギ類を意識的に摂る。
スーパーマーケットよりもJAなど直売所で新鮮で無農薬なども意識しつつ旬な野菜や果物を意識して食す。

あともう1つ日課として採用した大きな事は
【にんじんジュース(リンゴ+レモン)】を作って飲むこと。
いわゆる酵素ジュースとか言われる類でしょうか。
癌に効くと言われて、2人で色々と調べて最終的に「これはやってみよう!」となったのはこのにんじんジュースでした。
スロージューサーも購入してJAに行ってそこそこの量の人参とリンゴを買うのが日課になりました。
レモンは海外産の物しか入手がしにくかったので皮はしっかり取って果実部分のみ使用しました。
参考した文献やブログでは1日3回飲むことを推奨されていましたが、私達には現実的に無理がありましたので1日1回を必須ということで採用しました。
ただ実際、これ本当に美味しいジュースなので毎日でも苦になりませんでした。
なんなら私や父親も美味しく飲んでました。
ベースは【人参+りんご+レモン】ですが入手が出来なかったり、味変してみるために「オレンジ」「グレープフルーツ」や「ほうれん草」「小松菜」などプラスしたりして時として多少の変化もありました。
特にリンゴのシーズンオフになると安定確保が難しいので少し苦労しました。
JAなどに行けば人参もリンゴも品種が色々とありますので、そこの味の違いも楽しかったです。
個人的に何の検証も出来ませんが、これは多分少しは姉の病気の進行には効果があったのではないかと思っています。
あくまで私が個人的に思ってるだけですが。

食以外の部分では免疫力を高める事を意識しました。
【なるべく体を冷やさない】ように過ごす。
姉の場合、手術により足と手が不自由になってしまったのであまり動くことが出来ない生活がメインでしたので着るものや室温・お風呂など中心に注意しました。
また特に足先が冷えるので足のマッサージも定番になりました。
上のジュース類は基本体を冷やすものなので食事の部分で根菜類や生姜をとるなどしました。
【毎日ハグをする!】
これもまさかこの年になってと思いましたが、それで免疫が上がるなら易いもんです。
最初はちぃっと照れましたが欧米人になったと思ってじきに慣れました。
基本寝る前、ソファーから立ち上がる時に手を貸すので、そのタイミングで毎日ハグしてました。

他にも何かあったと思いますが、メインはこんなところです多分。
本人的にどう思ってこれらに取り組んでいたかは分かりませんが、もちろん本人もちゃんと同意の上で行っていました。
ただ食に関しては父親も癌患者ですし、中年の私にも食を正すことは良いと思って私達の為にもやっていたのかもしれませんね。
個人的には、あと当時可能であれば漢方も調べて取り入れてやってみたかったかなと今は思っています。
またこれらの食事などの対策は2015年のスタート時から2019年の最後まで続けられた事もありますが、様々な事情で途中から実践できなくなったり、ペースが落ちた/変わった物もありました。

さて次回からは時系列での出来事などを追っていきたいと思います。

外科手術と初回抗癌剤 【姉について⑤】

どうにもならない程進行した状態で乳癌が発覚し、最初の治療は「家に帰るにも抗癌剤治療を行うにも、とにかく歩けるようになりましょう」という所からスタートしました。
なので最初は癌病棟ではなく外科の病棟に入り左腕と左足の癌化した骨を取り除きその部分をセメントで埋める。また肩から肘までと大腿骨から膝までにプレートを埋めて補強する手術をおこないました。
術後はリハビリを行い杖などを使いながらでも歩けて日常生活が送れるようになる事ができれば帰宅し通院での抗癌剤治療が行えるようになることが目標でした。
その当時の思い出としては姉も言っていましたが「とにかく暑かった!」
病室は大部屋/6人部屋でしたがエアコンが窓際に設置してあるのですが、姉のベッドは反対の通路側で通常部屋の入り口は解放したままになっているので常に外気が入ります。
しかも個々のベッド・スペースはカーテンで囲まれて仕切られているのでエアコンの恩恵を受けられるのは窓際のベッドだけみたいな状況でした。
毎日のlineでもとにかく「暑い!」のオンパレードで、冷たい飲み物やアイスなどを補給するのが私の日課、最重要課題です。
私も土日は昼頃から病院に行っていましたが、やはり暑くてとても部屋にはいられず毎回車椅子に乗せて部屋から避難していました。
姉の入っていた病院には新館と旧館があり、新館内にセブンイレブンが出来た関係で元々あった旧館地下のレストランスペースが誰も居ない絶好の休憩スペースになる事をたまたま発見し(たまに看護師さんが給湯室的に入ってくるぐらい)、毎週末は午後から夕食が始まる18時頃までそこのソファーを貸し切り状態でおやつ食べたりiPadなんか見ながら過ごしていました。

また幸運にもリハビリの先生(女性)も良い面白い先生だったらしく、リハビリも楽しく積極的に出来ていたようです。
サルサ聞きながら部屋の隅でコッソリステップ踏んでリハビリもしてたみたい。
とにかく暑くて1日も早く帰宅したかったのが本音でリハビリ頑張ってたみたいです。
またこのリハビリの先生には大変にお世話になりました。
実際に退院して通院治療の期間はリハビリはほとんど行っていませんでしたが、最後の最後2019年の入院時には体力筋力の低下によるリハビリが毎日午後から30分程度日課となりました。
この時も最初の時と同じ女性の先生が見てくれており姉が喜んでいました。
リハビリしながら何気ない普通の雑談したり、2人でピンクレディー踊ってみたり、姉も毎日その先生が来るのを楽しみにしていました。
日々辛くなっていく闘病でしたが一時の安らぎになっていたみたいです。

8月に入り、リハビリも無事にこなして帰宅の目途が立ちました。
病棟も癌病棟に移り、様々な検査を受け初回の抗癌剤を投与しました。
幸にも危惧された大きな副作用も出ず、お盆開けての19日には無事に退院して自宅から通いでの抗癌剤治療となりました。
退院の際に私と父は主治医の先生に「姉は無事に年を越せるのでしょうか?」と聞きましたが、答えは「わかりません」でした。
「抗癌剤がどの程度効果があるかによります。」「帰宅して何か異常があったらすぐに電話をして遠慮せず来てくださいね。」と言われました。

本人はどう思っていたのか?
どこまで理解していたのか?
でも私は無事に姉が家に帰ってこれた事に喜び、これからどうなるのか?、どうするのか?不安もありましたが、気持ちは「やるだけの事は可能な範囲でやってみよう」と思い家に迎えました。
事実、姉ともこれからの事、これからの過ごし方について2人で相談しました。
私は「無理はできないけど、可能な範囲でやるだけの事はやるつもりだよ」と伝えました。
姉も「私も出来なくなってしまったことが沢山あるので、迷惑をかけるけどお任せします」
既に癌闘病中の「父親は色々無理があるので、そこもあんたお願いね」と。
これからは二人三脚でやれるだけやると決めて闘病に向かう事となりました。

またその頃には以前に私が問題にしていた異臭の問題もほとんどなくなっていました。
抗生物質の塗薬を処置し、ガーゼの上からいわゆる女性用の生理用品を貼ることで出血でも不安もあまりなくなりました。
ただしその範囲は時間とともに広がっていっているようで体調次第では出血も多かったり少なかったりするようでした。
姉はやはり「髪が抜ける恐怖」と「副作用」を気にしていました。
実際に髪が抜け始めたのは3回目の抗癌剤が終ったあたりですので10月11月あたりから徐々に抜けていった感じでしたね。
年明けの2月頃には裾の部分を残してかなり減りました。私に見つからない風呂場で1人で泣いていたみたいです。
ちょうどその頃には通院用外出用のウイッグを買ったような気がします。
ただ一般的な副作用に関しては、姉の場合は全般的に軽い方であったようです。
抗癌剤投与時には執拗に吐き気止めが出されたりしますが、そのような厳しい吐き気もほとんど無かったです。
何回かの抗癌剤のダメージが蓄積してきた年明け頃から、抗癌剤投与の3日後あかりから発熱、体のだるさと関節の痛みなどが出ていましたが、それも2,3日で収まるような感じでしたので投与から1週間は体調としては良くない感じでしたが、次の抗癌剤投与までの後の2週間は比較的に良好で過ごせるというスケジュールでした。
姉に関して言えば、最後の2019年まで総じて抗癌剤の副作用は幸にも危惧されたほどキツくなかったようで家族としても助かりましたした。

次回は「無理せずやれるだけやっていこう!」という、
その内容について具体的に書いてみたいと思います。

2015年癌発覚前の情況 【姉について④】

5月21日は姉の誕生日でした。
今年は1人でお墓に行って来ました。
姉の好きだった音楽をiPodに入れ小型スピーカーを持って行き聴かせました。
また珈琲も大好きだったので途中でセブンコーヒーを買ってお供えしました。
(病院内にセブンが入っていたので入院中もよく買いに行かされました)
音楽を流しながら小一時間、色々と想いだしながらそこに座ってやはり泣いてました。
「今日の姉は何を聴きたい気分だったのかな?」
また来年は違う音源や食べたそうな物を考えて持っていきますね。

さて、闘病回顧録の続きです。
以前にも書いた通り、姉は何十年も前から「早死にするから、準備してあるから迷惑かけないよ」と言っておりました。
結果的に全て姉の宣言通りになり、事実「癌と診断されたら○○万円支給します」という保険にも入っており、闘病中の費用はほぼその保険で賄えましたし、あえて言えば去年の夏頃にはその資金がほぼ底を尽き始めていたのを分かっていたので「これ以上長生きしたら迷惑かけてしまう」と思っていたのかもしれません。

姉の癌発覚は2015年の6月でしたが、実はそれ以前に1点だけ私が異常に気が付いていたことがありました。
それは “臭い” です。
発覚前2014年の冬場、特に部屋を閉め切りストーブなど暖房器具を使う10月以降になりますが、姉の体臭が異常な程の異臭を放っていました。
事実私はその臭いが強烈すぎて同じ部屋にいることが出来ず、常に別室に退避していました。
正直同じ部屋にいる父親が信じられなかったのですが、私にはとても耐えられる臭いではありませんでした。
多分9月頃、一度車に同乗してした時にも「あれっ、なにか臭うな?!」と思った事がありましたが、その時はまだ残暑の時期なので「汗でこんな事もあるかな?」ぐらいに考えていました。
体臭というデリケートな事ですし、しかも家族とはいえ女性ですので言うに言えないですね。
ただ冬になり年をまたぐ頃には異臭の具合も更に強烈になり流石に私も耐えきれなくなりました。
確認はしていませんが、多分仕事場でも周囲の人たちに迷惑をかけている事が容易に想像されるレベルですので1月の中旬頃ですが外出してお茶する機会があった時に意を決して姉に伝えました。
「気が付いていると思うけれども、去年の秋ぐらいから匂い体臭がかなりキツイのを分かってる?」「場合によっては病院に行った方が良いかもよ」ぐらいに言いました。
姉は「フーン、あぁ」位の何となくリアクションしただけでしたが私としては意を決して伝えた次第です。

結果的にはあの異常な匂いは乳癌が進行し、乳房の表面まで腫瘍が広がり組織を壊死させていく過程で発生する臭いのようでした。
臭いの他出血も同時にあったようで、その時期姉はいつも家族の中で一番最後にお風呂に入り血で汚れた浴室の後始末や、患部にガーゼを当てる等の処置を深夜に1人で行っていたようです。
今にして思えば体臭というよりもはや腐敗臭で、その時にもっと異常に気付いていればと後悔します。

また15年の春には父親と3人で出かける機会が何度かありました。
桜を見に出かけたり、ちょっと遠めのドライブで姉の好きな蕎麦を食べに行ったりしました。
例年は私と姉2人、又は姉と父の2人で出かけることが多く、3人揃ってという事は珍しいのですが、病気の進行を分かっていた姉がわざとその機会を作っていたのだなと思います。
ただ5月の終盤に3人で出かけた際に山の中の河川まで岩場を降りて行って写真を撮ったのですが、その際の足への負担が大きかったようでその日以降足が痛いと言い始め、遂には仕事で歩けないぐらいまで悪化して癌発覚に繋がります。

癌が発覚してから姉と話した時に、私は素直にこう言いました「お前凄いわ、尊敬するよ。」「本当に偉かった、よく頑張ったよな!」
悔しいですが、これも本心です。もちろんその一方で「何でもっと早く言わんのや・・・」という思いも当然あります。
ただ「私は早死にするから、決まっている事だから準備しているから」と20年前から言い続けてきた姉の意地は褒めてあげないといけないとも思いました。
最初の自覚症状があったのが2、3年前とかだったと言っていたような気がしますが、これだけの症状と向きあいながら誰にも話さず1人で抱え込んで生活していたと思うと、どんなに怖かったか、どんなに不安で苦しかったのか、限界まで1人で耐え抜いた姉を想うと素直に受け入れたくはないけれども、やはり尊敬して尊重してあげないといけないのかもと思います。
もしも自分だったら途中で「病気だと気付いてオーラ」を出してしまいそうになると思います。
「なんで?」という思いは付きまといますが、最後の限界まで自分の思いを貫いた姉を、耐え抜いた姉を、私が褒めてあげないといけないのです。
「本当に偉かった、よく頑張ったよ!」

これが2015年、癌発覚前の出来事です。
もっと早く異常に気が付いてあげられなかったのかという後悔と。
極限まで耐え抜いた姉の精神力を認めてあげたいという思いです。
次回は闘病開始からの話になります。

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プロフィール

パンチョ

Author:パンチョ
様々なお気に入り音楽を気分に任せて上げていく予定です。
基本は青春の80年代洋楽が中心となりそうですが、その他聴いているものは自由に何でもありで進めます。
懐かしの動画やPVを探してきて貼ってみたり、買ったCDの報告やリイシュー情報なども。
ジャンルも時代もバラバラですが、素敵な一期一会となれば嬉しいです!

洋楽=83年~88年あたりが中心。
邦楽=いわゆる渋谷系~キリンジまでPOPなやつ。
細野さんティンパン関係の70年代ものなども。
ソウル&R&B=50年代~現代まで黒いやつ。ダンクラも。
JAZZ=ソウル・ジャズやホンカーのファンキーなの中心。
ワールド=サルサ中心に、各国のリズム探訪。
自称GUACOマニアなので、そこら辺も手厚く。

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