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ノージャンルの音楽ブログ、青春の80年代洋楽はじめ、J-POPからラテン系まで・・・好きな音楽紹介!

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子供の頃と姉との関係性 【姉について②】

姉との関係性について。
我が家は5人家族、父母と3姉弟で、私の上に姉が2人。
今回亡くなったのは二女になります。
私が幼少の頃はあまり記憶にありませんが、ちょうど音楽を聴き始めた中学生の頃から共に過ごした場面が多くなります。
私が洋楽に目覚めた時、姉は既にビリー・ジョエルやエア・サプライなどレコードを持って聴いていました。
邦楽でもゴダイゴ、チャゲ&飛鳥、原田真二、さだまさし、など私も聞かせてもらっていました。
自然とそんな姉のレコードを聴かせてもらったり、FMから発見した新し音楽を互いに報告し合う関係になりその頃から姉との深い付き合いが始まりました。
つまり私の音楽環境、リスニング人生において最も大事で影響を受けた最初の人です。

洋楽聴き始めの頃の思い出。
一番最初の想いではスパンダーバレエの【Gold】でしょうか。
私が【Gold】を初めてFMでエアチェックして感動し、「これ凄い良いよー!」と聞かせて2人で盛り上がり何度もリピートして聴いた記憶は忘れられません。
またアラン・パーソンズ・プロジェクト【Don't answer me】がヒットした頃、NHK-FMで夕方の「軽音楽をあなたに」(多分、記憶では16~18時の2時間)でアラン・パーソンズの特集があり、ポップなだけではないスケールの大きなアルバムタイトル曲【Ammonia Avenue】や【運命の切札】のアルバムB面の組曲などが流れ2人でステレオの前で感動しただただ言葉を失った場面も今でも鮮明な記憶です。
私が録画したMTVを一緒に見て、踊ったり歌ったりもしました。
ホール&オーツの【Possession Obsession】が好きで一緒に踊りました。アポロ劇場ライブの"Apollo Medley: Get Ready/Ain't Too Proud To Beg/The Way You Do the Things You Do/My Girl"もね。
この当時は私の録音した物や買ったレコードを共有して過ごしました。
買ったばかりの数々のレコードも2人で視聴会をやりました。
私が大阪で1人暮らしをする88年までは同じものを聴いて過ごしていたと言っても過言ではないでしょう。
(こちろん好みの差はありますが)
そんな訳で最近までも当時のなつかし洋楽で盛り上がりドライブするのも定番でした。




もう1つとてもとても大事なこと。
それは2人の中に共通してラテンのDNAが存在していた事。
その事をちゃんと認識するのはずっとずっと後の事ですが、80年代当時もラテン系音楽について実はこの頃から無意識に共鳴しあっていたのでした。
そもそも姉は70年代にブームがあった【コンドルは飛んでゆく】の【アントニオ・パントーハ】にハマって母親と地元のコンサートに出向いています。
それからいわゆる「フォルクローレ」が好きになり、インカ帝国とかアンデス文明などの本を読んだり勉強するようになり、後々外国語大学でスペイン語を学びます。
当時70年代から80年代。地方の1個人でインターネットも無い時代、「フォルクローレ」やラテン系の音楽に関する情報はなかなか目にする機会はなかったと思います。
しかも真面目でそれほど積極的な性格でもないので地味に本を読んでコツコツと学んでいたようです。
そういえば私用で東京大阪に出た際には地方の本屋には無い「中南米音楽」という月刊誌を買って帰ってきてましたね。



本格的には90年代以降、私もラテン系の音楽に移行した事もあって急激に環境は変化しました。
2人でその音楽性や文化とその地域性など色々と調べ学びながらお互いにそれぞれの方向性を広げていくようになりました。
この時期はお互いに日々新しい世界と出会う体験が続いた時期で、2人で本当に充実した時期だったなと思い直します。
その後姉は友人と憧れの「キューバ」まで旅行に行っています。
このラテン系音楽が好きな事を色々と調べていくうちに、だんだんとお互いの嗜好とルーツが見えてきました。
ラテンのDNAはお互いに内包しているのですが、そこに共通する部分と違いがある部分が見て取れました。
これを説明するのはとても面白く興味深いのですが、流石にかなり長くなりそうなのでまた別の機会にしておきます。

ただそれより以前に2人にとって、その後の運命を決定づけるとても大きな出来事が起こっていました。
2人で昔を話し合った時、やはりこれを2人でその場にいた事も運命だったとお互いに納得しました。
それは1986年の松岡直也 「WATERMELON DANDIES ツアー」のライブに出かけた時です。
84年に出た松岡直也さんの【ONE LAST FAREWELL】というベスト盤を買って以来2人とも大好きで聴いていました。
しかし当時はラテン系ということに対して、そこまでの強い意識はありませんでした。
ただこのライブの夜、その会場を出た後のことは一生忘れられません。
言葉では説明できないのですが、人生で体験したことが無いくらい心が震えていました。
2人とも生まれ変わったと言ってよいくらい感動、興奮していました。
心とか頭ではなく全身の細胞の1つ1つが目覚めて喜んでると言えば良いのでしょうか、
2人でも話しましたが、この体験、感覚は理解するとか解るとかではなくて「感じられるか、感じられないかのどっちかしかない」という結論でした。そしてこの感覚を共有できるのには必ず理由があるはずだと理解しました。
それが体の中にある何か共通した記憶=DNAがあるのだろうと。
5人家族の中でも2人だけが共有できた事には特別な因縁があるのだろうと私が認識するのは色々と経験した2000年代以降の事となるのですが。




今回の病期が発覚してから色々と話しました。
その話の中で私が実は姉とは特別な因縁で繋がっているのだろうと思っているという事も伝えました。
それには姉も同意していて、実は姉もそう思っていたと伝えられました。
その事を話さずともお互いに実は理解していた事も初めて知りました。
2人の結論としては「そもそも前世で南米のどこかで夫婦だったか親子だったか、あるいは兄弟だったかで関係があったであろうという事」
そして「今世でも意味があって姉弟として生まれてきたのであろう」という考えに至りました。
もちろん何の根拠もありませんが、そうとしか思えない体験が多数ありそう確信していました。
そしてそれは話さずともお互いに人生の途中から感じて解っていたという事でした。
普通の兄妹の関係性がどのようなものか知りませんので比較出来ませんが、私達は特別な因縁と愛情をもって生まれてきました。そしてそれを感じていました。
そしてその最後の時期を過ごす事になりました。


私のミュージック・ライフと日々の生活には常に姉との思い出も一緒にあります。
音楽的には一番近くにいるパートナー、相棒ですね。
今回は姉との特別な関係性について書きました。
なかなか理解してもらえないかもしれないですし、多少ヤバイ人にも見えるかもしれませんね。
うまく説明はできませんが、私達は同じ因縁を感じ合っていたのですからこれは理屈ではなく仕方のない事です。
そんな訳で次回は実際に癌が発覚してからの事を書いていきたいと思います。

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お久しぶりです。【姉について①】

2017年の夏以来の投稿です。
途中何度か書きたい出来事もあったりしましたが
ブログまで向き合えず、スルーしてしまい令和2年の今日を迎えました。

今回この内容を書き記す事に対して「書いちゃって良いのか?」とか「本人はどう思うのか?」など・・・
考えるところは多いのですが今回はただただ自分の為に、自分の想いや気持ちを整理し、今の感情を忘れない為に書き残そうと思います。

昨年、2019年7月末に姉が亡くなりました。
乳癌でした。
乳癌からの全身転移、最後は肺への転移したものが抑えられませんでした。
2015年の6月から約4年間、姉と癌と向きあって過ごしました。

闘病中の4年間、その時々で様々な悩みや不安がありました。
ただ私の環境で父親は高齢で癌闘病中&軽い認知症でもあり、ほとんど相談はしませんでした。
もう1人の姉も遠方に嫁いでる事と、私個人とはあまり仲が良くないのでほとんど交流しておりません。
何より独身だった姉本人の希望で「私に最後まで面倒を見てもらいたい」と言ってくれていました。
もちろん私もそのつもりでした。
闘病中での過ごし方と諸々の判断と決定は、全て姉本人と私と2人で相談して決めていきました。
途中で2人以外の方に相談したいと思った事も何度かありましたし、特に最後の入院となった2019年6月以降は本人に余命宣告はしておりませんでしたので、そこを気遣いつつ寄り添い、またもう1人の姉や親族への対応判断も一任されていましたのでその責任も重なり相当にしんどい日々でした。
幸にも親族や大事な友人との生前の最後のお別れも、結果的にはほぼベストなタイミングで終えることが出来たと今となっては思っていますが、当時は色々と悩みました。
病院内にも「癌相談支援室」みたいな所もありましたが行かずに終ってしまいましたし他の癌患者さんの闘病ブログなどもこっそりと見て参考にしていたりしましたが自分から動いて外へヘルプを求めることはしませんでした。
結果的に良かったのかどうか分かりませんが最後まで2人でやり遂げました。

恥ずかしい話ですが、姉の死後昨年の年末迄は本当に毎日最低でも1回は必ず泣いていました。
移動の車中、食事を作る時、テレビを見る時など生活の全て、身の回りの物全てに姉の記憶が蘇ります。
闘病が始まった時に買ったソファー、いつものポジションに、そこに座っているよね。
闘病中も元気な時も「音楽聞きながら歌いながらドライブしたよね」助手席に座っている姿がそこに居るはずなのです。
また「去年のクリスマスは姉のお気に入りのケーキ屋さんで買ったケーキを満面の笑顔で食べていたな・・・」「去年の年末は姉と相談して初めてネットでおせちを注文するため色々と検討したな・・・」など思い出すシーンやイベントが多くてその度に独りで泣いてました。
なのですがそれが年明け以降、徐々にその回数が減ってきた事に気が付きました。
お正月の連休は喪中のため何もせず今年はただ家で1人でお酒を飲んで寝るというダラダラした非日常を過ごしました。
ただ酔って寂しさを忘れたかっただけかもしれません。
それが良かったのか悪かったのか日々のルーティーンからハズレて新年と共に日常もリセットされたのでしょうか。
今も何かきっかけがあれば姉を思い涙ぐんでしまいますが、去年ほどの頻繁ではなくなってきました。
そんな自分がそれでいいと思う反面、もう忘れるのかと自己嫌悪にもなります。

このブログ内でも2016年【GUACO来日】の時期に姉について少し触れた事もありましたが、やはり病気がデリケートな問題でもあり、私のブログは音楽メインの内容ですので状況を詳しく書くものでも無いと判断していました。
ただ姉が亡くなって半年以上の時が経過し、今だからこその想いや後悔、不安など・・・。
何と言って良いのか分かりませんが色々な感情が押し寄せる時があります。
姉と共に聴いたあの時代の音楽は今でも何時でも聴く事はできますが、もう一緒に聴いたり当時の思い出話をすることはできません。
姉の大好きなアーティストの新譜が出れば話題にし、アルバムを買うか相談注文し届いたCDを一緒に聴く事ももうできません。
(実際に共有するアーティストの新譜を買いましたが、1人で聴く寂しさに直面してちゃんと聴けませんでした。)
姉との想い出や笑顔、ぬくもり、闘病中の様々な出来事も全て記憶でしかなくなってしまいました。
そして特に、日々この感情と記憶が薄れていくのがただただ怖いのです。
今のうちに・・・そう自分の為に、この気持ちを書き残しておく決意をしました。

これから何回になるのかも分かりませんが、姉についての想いを少しづつまとめて書いていきたいなと思っています。
その連載が済んだら、また通常の音楽ブログ的な内容に戻ります。(多分)
2年以上空いているので実際紹介したいCDも沢山あるので。

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プロフィール

パンチョ

Author:パンチョ
様々なお気に入り音楽を気分に任せて上げていく予定です。
基本は青春の80年代洋楽が中心となりそうですが、その他聴いているものは自由に何でもありで進めます。
懐かしの動画やPVを探してきて貼ってみたり、買ったCDの報告やリイシュー情報なども。
ジャンルも時代もバラバラですが、素敵な一期一会となれば嬉しいです!

洋楽=83年~88年あたりが中心。
邦楽=いわゆる渋谷系~キリンジまでPOPなやつ。
細野さんティンパン関係の70年代ものなども。
ソウル&R&B=50年代~現代まで黒いやつ。ダンクラも。
JAZZ=ソウル・ジャズやホンカーのファンキーなの中心。
ワールド=サルサ中心に、各国のリズム探訪。
自称GUACOマニアなので、そこら辺も手厚く。

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